「かち」('05/03/27)「かち」について、考えさせられる試合だった。--- 前日、Bsの開幕戦をインボイス西武ドームで観戦したその翌日。 平野台さんと共に、インボイスと迷った挙句、 千葉マリンスタジアムの方に行くことにした。 理由は2つあった。 1つは、私がその日のうちに岡山へ帰らなければならなかったのだが、 羽田へのアクセスが千葉マリンの方が良いこと。 もう一つは、興味深いイベントが試合前に行われることを聞いていたからだ。 --- 海浜幕張駅に到着すると、 パリーグ開幕前から噂になっていた、 マリーンズがイーグルスに堂々と喧嘩を売ったポスターに遭遇した。 この前日の開幕戦は、イーグルスがマリーンズを下し、 (スコアこちら) 歴史的初勝利を既に挙げていた。 しかし、撤収されることなく、ポスターは掲出されたままであった。 昨日の帰り際、マリサポはこのポスターを恨めしく思ったのだろうな、 と思いつつ、球場へと歩いた。 --- 試合開始45分位前に、球場に到着。 しかし既に、 「外野席は満席のため、入場できません」との表示が出されていた。 私と平野台氏は、2階内野席、やや3塁側に陣取った。 --- 試合前の「大イベント」の前座。 チアリーダーはいつもより多めだった。 しかし、「私が今日、ここに来た目的」のイベントはまだまだ。 --- 続いて、マリサポの代名詞、ビッグフラッグが登場。 ドラゴンクエスト2の「パスワード入力」のときのメロディーに乗せ、 「俺達の誇り 千葉マリーンズ どんなときも俺達が付いてるぜ 突っ走れ 勝利のために さあ行こうぜ 千葉マリーンズ ラーララーラー ラーラー♪」 の音楽を歌いながら、フラッグが揺れる。 そして、今年からの新バージョン。 ビッグフラッグの下に、小さな黒いフラッグを隠しておき、 撤収後にその黒フラッグが出現する、という 「新技」を披露してくれた。 でも、まだまだ、今日の目的イベントでは無い。 --- そうこうするうちに、ついに、今日のメインイベントが始まった。 この日は、1974年、まだ「ロッテオリオンズ」だった時代に 日本一になったメンバーが、 試合前に集合する、というイベントである。 スクリーンには、当時の様子が映し出された。 ロッテだけが、昨年までは1977年生まれの私が生まれてから唯一 リーグ優勝をしていない球団だった。 しかし、今年からは、2球団に増えたのだな、と感じながら見ていた。 --- そしてさらに粋な演出が。 それは、当時のナインの紹介を、 佐々木信也さんが行ったのだった。 私が小学生低学年の時代、プロ野球ニュース、といえばこの人だった。 (夜8時までに寝させられていたので、生では見られなかったが・・・。) 佐々木さんが球場にアナウンスする。 「私はオリオンズには2年間しか在籍しませんでしたが・・・」 このコメントを聞き、私は、 昔、この人はアナウンサーだとずっと思っていたのだが、 母方の祖父に「元野球選手だったんだよ」と教わったことを思い出した。 --- ナインが一人ひとり、紹介されていく。 ライト・得津。この方は私は「名前だけは聞いたことがあるな。」 センター・弘田。私にとっては「'85年のTの2番打者」のイメージが強い。 レフト・長谷川。・・・存じませんでした。 ショート・飯塚。・・・同じく、存じませんでした。 --- そしてサード・有藤。この方は知ってます。背番号8の「ミスターロッテ」。 平野台さんに「大卒初の2000本安打達成した人」と紹介したら、 「長嶋茂雄は?」と反例を出されてしまい、 「パ・初の」と慌てて訂正した。 (後日、調べたら「パ初」は合っていました) セカンド・山崎。この方も有藤と並ぶ「名球会会員」として、名前は存じてました。 ファースト・新井。・・・存じませんでした。 キャッチャー・村上。・・・私にはロッテのキャッチャーの最古記憶で「袴田」なので、 この方も存じませんでした。 --- この8人が紹介されたところで、この日のマリーンズの先発オーダー発表。 現役選手たちが守備位置に付く。 同じ背番号8番のサード、今江-有藤が何か話していた。 今江も、将来、有藤のような「ミスターロッテ」となるのだろうか? そういうことを考えていた。 --- スタメン発表の後、日本一メンバーの投手が発表された。 有藤・山崎と並ぶ名球会会員。そして投手の「ミスターロッテ」、 村田兆治だ。 この日の始球式は、彼が務める。 投球練習を行う。 相変わらずのマサカリフォームだ。 「捕手の村上が、村田の速球に恐がっています」と 佐々木信也氏のツッコミが入る。 --- そして試合開始前。 まずライト得津がボールを持ち、 それをセンター、弘田に送る。 そしてレフト長谷川、ショート飯塚。 ノーバウンドで送球される。 しかしショート飯塚からの送球を、有藤が見事に後逸。 オイオイ。 セカンド山崎、ファースト新井にボールが渡り、 新井が受け取ったボールを、当時の監督・金田正一が受け取り、 村田兆治に手渡した。 始球式。 速球がうなった。 スコアビジョンには「140km/h」という、試合前から準備されていたであろう 「真実ではない」「水増しされた」数値が表示されていたが、 平野台氏によると、バックネット裏に示されるkm/h表示では、 130km/h台の数値が出ていたらしい。 そのボールを受けた、この日のMの先発投手、渡辺俊介投手よりも 速い球を投げ込んでいた。 (↓写真はその俊介。勿論「投法の違い」は考慮すべきだが) 今まで私が見た中で、一番「深みのある」始球式イベントだった。 --- EファンでもMファンでも無い私にとって、 このイベントを見ることで、 この試合の価値は既に半分は達成されていた。 しかし、残りの半分、この試合の勝負、采配を 考え、そして楽しもう、という気持ちをこの時点では持っていた。 --- が、それは叶わなかった。 なぜなら、2回の裏終了の時点で、E0-13Mとなってしまったからだ。 この2回の途中で、この試合の勝ちは決まってしまった。 その時点で、この試合は価値を失った、と感じた方も多かったかも知れない。 しかし、観戦していた私は、まだ価値は失われていない、と思っていた。 それは、下の写真をご覧いただきたい。 4回表に、先頭のE関川に粘られて四球を出したものの、 M渡辺俊介が手が付けられない位好調で、 「ノーヒットノーラン」の可能性を感じていたからだ。 --- しかし6回表。 Eの捕手・長坂が、私にとってのこの試合の価値を失くしてしまった。 センター前にヒットを打ったのだ。 EのスコアボードのHの欄の0が1に動いた。 後は、帰るタイミングを計っていた。 --- 7回表。0E-M19となっていた。 Eの応援歌が球場に流れた。 前日のBs観戦会の時にミスチルファン1974さんから噂は聞いていたが、 作詞・作曲が浪花のモーツァルト、キダ・タロー?と疑いたくなるような センスのかけらも感じられない曲だった。 ・・・このチームのファンにはなれないな、と正直感じた。 一番応援している選手は在籍しているけれど。 --- でも、7回の表まで残ったのは理由があった。 それは、途中で守備に入った、 '96年から'04年まで9年間元BWに在籍した 大島公一選手の打席を見たかったからだ。 (↓写真は守備に付く大島選手) --- 大島選手は打順が回ってくると、 それまでテンポ良くポンポン投球していたM渡辺俊介に対し、 右手を広げて「待った」をかけて、 左足でバッターボックス内の土を削り、 そして左足で土をならした後、 打席に入った。 その後、1球ごとに、打席を外し屈伸運動等で 必死に渡辺俊介のリズムを崩そう、としていた。 1-1からの3球目、カットしたボールがスタンドまでは届かず、 結局三邪飛に倒れてしまったが、 その仕草を見るだけで充分だった。 --- 韓国語・朝鮮語で「一緒に」のことを「カチ」と発音する。 この試合で、この展開で、私が一番「一緒に」を感じたシーンは、 この大島の打席だった。 --- 7回表を終えて、帰路に着いた。 この時間で帰っても、羽田で1時間以上待つことは分かっていたが、 限界だった。 それは、今までずっと9年間「一緒に」の「カチ」を感じていた選手が、 「カチ」を感じられないチームに所属している、という 哀しさを感じたからだった。 もう勝ちが決まり、価値を失ってしまった 哀しいこの試合を見続ける位なら、 羽田で飛行機の時間待ちをしたほうがマシだ、と思った。 観戦に誘った、平野台さんに申し訳ない、と思った。 --- 普段の試合観戦後は、心地よい疲労感が残る。 勝てば「嬉しい」の気持ちが残る。 負けでは「悔しい」の気持ちが残る。 でもこの「悔しい」は、 次の勝ち試合を見たときの「爽快感」でみそぐことができる。 しかし、この試合では 「空しさ」と「哀しさ」しか感じることが出来なかった。 この試合のスコアこちら この後の一週間は、しんどかった。 多分、体力的なものだけではなく、 この「空しさ」と「哀しさ」が、私の体を重くしていたのだ、と思う。 ['05/04/03] |